yukiakiの日記

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映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版完結編』感想(本編ネタバレ注意)  エヴァという物語が本当に完結した衝撃と心の中に吹いた清々しい風

「決着をつけにきた!」というほどギラギラ切羽詰まった目をしていたつもりではないですが、「面白いか面白くないかという結果すら知りたくない。フラットな感情で映画に挑みたい」という気持ちでがあるくらいにはエヴァに思い入れがある人間なので、公開初日の午後の回で観賞しました。
観客は250人ほど。平日の昼間のわりに人が多かったです。自分と同じようなある種拗らせたおっさんばかりかと思いきや、女性や高校生くらいの若い人もたくさんおりました。

 

公式サイト →  シン・エヴァンゲリオン劇場版 

 


『シン・エヴァンゲリオン劇場版』本予告・改2【公式】

 

「本当に完結した!」「とても清々しい気分だ!」この2つが映像の最後に「終劇」の文字が出てきた時に自分の中から沸き上がってきた一番最初の感情でした。そしてそれは「驚き」でもありました。

 

始まる直前までは期待も不安も一杯でした。「本当に終わるのだろうか?」という疑問、「内容次第で立ち直れないダメージを受けるかもしれない」という不安、「どんなに駄作でも自分の解釈で傑作にアップデートしてやるよ」くらいの強い気概、「面白かったと声を大にして喜びたいな」という希望、色々な感情が攻めぎあっていました。

 

映画が始まってまず飛び込んできたのはパリを復元させるWILLEのミッション、マリの超絶アクションでした。これを見ながら「エヴァのアトラクションに乗ってるみたいだぁぁぁ!!」となり、小難しい事を考えながらではなく、素直に、まるで乗り物に乗るかのように、この映画時間に身を委ねていこうと改めて思いました。

 

そして、訪れる第3村。『Q』では描かれなかった普通の人々の暮らしに大人になったトウジやケンスケやヒカリの再登場は驚きでした。そこの暮らしを経て、シンジが最終的にレイの素直な「好きだから」という言葉から、それまでのみんなの優しさとその根底にあった思いを受け取って復活するシーンは、胸が熱くなりました。エンターテインメントとしてのエヴァが戻ってきたと感じました。

 

次いで行われる南極での決戦。超絶アクションと同時に、様々な設定が明らかになっていきます。ミサト、アスカ、ゲンドウ、シンにおける人類保管計画、全てが「そうだったのか!」と衝撃とともに、これまでの映画の内容を思い返せば納得できる内容で、震えました。

 

そして物語はシンジの初号機とゲンドウの13号機の対決になります。マイナス宇宙で2体が闘う様は違和感ありありで、ちょっと「ん?」となっているところに、更に食卓で闘いはじめた時は、思わず声を出して「ハハハ!」と笑ってしまいました。映画館だからこらえたかったのですが、無理でした。「庵野またやってくれたなぁ!!!」と心の中で叫んでいました。

 

まさか、まさかまた、ここまできて旧劇場版のような展開ををなぞるとは、自分にとって思ってもみないことでした。「また俺たちを24年前のように惑わせるのか!」と怒りにも似た困惑の感情が顔を覗かせました。

 

でも、違いました。そこから描かれたのは、あの頃とは何もかも違った道筋と結末でした。

 

説明台詞が多いながらも、それは突き放されたあの頃の疑問に一つ一つ答えてくれるかのように作用しました。旧劇場版では為す術なく死んでいったキャラクター達には明確な救済が与えれます(WILLEメンバーも生き残ります)。そして「現実に帰れ」のメッセージ性はあの頃よりもとても優しく響きました。それはこれまでのシンエヴァのシリーズにおいてシンジ君が辿ってきた軌跡に思いを馳せてそう感じたのかもしれませんし、自分自身が現実世界で大人になった影響もあるのかもしれません。とにかく「庵野またやってくれたなぁ!!!」と沸き上がった負の感情は「庵野ついにやってくれたのかっ!!!」というポジティブな気持ちに変化していきました。

 

その中でも特に嬉しかったし印象深かったのは、旧劇ラストを意識したアスカとのシーンでした。シンジが旧劇で「気持ち悪い」の代わりに今回語りかけた言葉は、式波アスカへの返答でありましたが、それはかつての惣流アスカを救う言葉でもあったと思いました。そこもちゃんと拾ってくれるのかという思いと共に、自分がある種エヴァにおいてずっと一番胸の奥に刺さっていたであろう棘を抜いてくれるシーンでもありました。

 

そして物語は全てのエヴァンゲリオンに別れを告げたシンジが現実に帰って行きます。ヒロインはマリでした。「そこかよっ!」という思いとともに、実写で映し出される町並みを見ながら、そこには新たなワクワクが予感されました。かつて自分がレイとアスカでさんざん妄想したり予想したりした未来とは別の、新たな可能性がありました。

 

スタッフロールが流れる中、ずっと頭を整理していました。実はこれまで書いてきた感想はこのスタッフロール中に宇多田ヒカルの曲を聴きながら必死に考えていた事です。基本は冒頭で「身を委ねよう」と決め手からは頭空っぽにして見ていたのです。自分の感情と情報と内容を思い出しながらぐるぐると頭の中を巡らせていました。それは体感時間としては映画本編と同じくらいだったかもしれません。自分の中の25年間を合わせて旅をしていました。

 

そして、映像の最後に「終劇」の文字が出てきた時に自分の中から沸き上がってきた一番最初の感情が「本当に完結した!」と「とても清々しい気分だ!」の2つでした。そしてそれは「驚き」でもありました。

 

エヴァ」という作品はある種自分の半生でもありました。青春の1ページでは終わらない、ずっと続いてきた物語。それが「本当に終わった」こと、そしてそのことを「清々しい気持ちで受け入れられた」ことは、劇場に入る前は想像もできないことでした。現実では意識することがほとんどない「大人になること、なったこと」を実感させてくれる体験でした(子ども生まれても「親になった」であり「大人になった」とはニュアンスが違うものなのですな)。

 

「ありがとう、エヴァンゲリオン」映画が終わった瞬間には余韻が凄すぎて拍手する体力など残っていませんでしたが、少したった今なら万感の思いを持って手を叩きながらそう言えます。

 

人生にシンクロした作品が終わる寂しさも今は少し感じておりますが、それを遙かに凌ぐたくさんの人生の糧を与えてくれた事に、感謝で一杯です。『エヴァンゲリオン』という作品に出会えて、本当に良かったです。