- 作者: 上遠野浩平,荒木飛呂彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/09/16
- メディア: 単行本
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大好きな『ジョジョ』という作品において、第5部に登場したフーゴほど僕にとって子供の頃と大人になった後で評価が違うキャラはいない。
子供の頃は「臆病風に吹かれた情けない奴」であり、見ていてとても残念な気持ちになったキャラだった。
大人になってからは「立ち向かえるだけの勇気がなかったのは仕方がない。彼は行かないという選択をしたんだ」とむしろ肯定的な評価をするようになった。
大きなギャング組織を裏切り立ち向かう事になった際、唯一その仲間の中で決意を問うた桟橋から動けずボートに乗れなかった男フーゴ。どうにもならない現実や、圧倒的な驚異を目の前にして決して膝を折らない者たちの人間賛歌の物語である『ジョジョ』の中で、彼は異色のキャラクターでした。だからこそ子供の時は嫌いだったし、大人になって負けることを知った後ではむしろ共感する気持ちが大きくなっていました。
そんなある意味思い入れの凄くあるキャラクターであるフーゴその物語がどこにいきつくのか・・、ドキドキしながらページをめくって読み始め、あまりの面白さに一気に最後まで読んでしまいました。うん、すごく面白かった!
本書においてフーゴはギャング組織のボスに勝利し新たにボスの座についた彼らの仲間に裏切り者でないことを証明するため、とある任務に挑みます。その任務の激しい闘いの中で彼は思い出します。「あの時僕はボートに乗りたかったけど乗れなかったんだ」とフーゴ自身が自覚します。僕はこのシーンが異様に大好きです。あの時彼のした選択は正しかったのか? ジョルノ達がボスを打ち負かしたことを知った後でも、かつての仲間の生き残りがミスタだけだったことを考えれば、ボートに乗ればおそらく彼も死んでいた(作中でもミスタにそう言われる)。では何が正しくて何が正しくないのか? そういった常識や経緯を全て取り払いった状態、それ以前にあの時フーゴ自身はどうしたかったのかを彼自身が見つけ出し、ある意味ゼロの地点に帰ったシーンです。
僕たちの現実の問題や選択は何が正しくて何が正しくないのかはいつも曖昧です。自分自身が何を後悔しているかでさえあやふやな事が多いです。そして一度ぼやけてしまったそれを再び探り見つけ出すことは容易ではありません。並大抵ではない覚悟が必要です。
だからこそ、彼が逃げずに目を逸らさずにゼロの地点に帰れたことに僕は感動しました。そしてそこから始まるフーゴの快進撃。正直痺れました。
そしてラストのジョルノとの再開のシーンは本当に涙が出ました。あの時踏み出せなかった一歩は永遠に失われてしまったものだけどここから踏み出せる何かが必ずあるはずだと強く思えるシーンでした。これもまた人間賛歌。作者や媒体といった形は違えどまぎれもなく『ジョジョ』だったと思いました。